福井県 越前そばの歴史

福井におけるそば食の起源は、1471年(文明3年)戦国大名朝倉孝景が福井の一乗谷に城を築き、収穫期間が短いそばを合戦の合間に栽培させ、兵糧食にしたことが始まりとされています。その頃の食べ方は麺状ではなく、そばの実を石臼で粉にして、熱湯をいれて捏ねた「そばがき」のようなものが主であったと言われています。

 麺状のそばが日常食になり、大根おろしと一緒に食べる「越前おろしそば」が始まったのは江戸時代です。1601年(慶長6年)、越前府中(現・越前市)を治めた藩主、本多富正が広めたとされています。 本多富正 は徳川家康の次男である結城秀康の重臣で、秀康が越前国を与えられた際に領内の要所の守りとして府中を拝領して領主になった人物です。

 本多氏が京から府中に赴任する際、金子権左衛門というそば師を伴って赴任し、領内の救荒作物としてそば栽培の奨励に当たらせました。また、同時に城下の医者と相談して、大根おろしの汁で食する食べ方を工夫させ、その結果、大根おろしをかけた「おろしそば」が生まれたとされています。
 府中で誕生したおろしそばは、その後、福井・三国・今庄・敦賀といった宿場町、港町を中心に、多くの人たちに食され、少しずつ越前の国全体に広がっていきました。

       
 福井のそばの美味しさが全国的に認知され始めたのは明治時代に入ってからとされています。鉄道などの交通網が発達し、1896年(明治29年)北陸線の敦賀~福井間が開通した後、途中にある今庄駅で販売されたそばが評判となりました。当時の今庄駅では、峠越えにともなう補助機関車の連結のためすべての列車が停車し、乗客はしばらく待機させられていました。そこで販売された駅そば(かけそば)が評判を呼び、福井のそばの美味しさは今庄や福井を立ち寄った人たちにより全国に広がっていったのでした。
 さらに、福井のそばが越前そばの名で知られるようになったのは、1947年(昭和22年)のことです。昭和22年10月、昭和天皇が福井県武生市(現・越前市)に行幸された際、当時の宮内庁厨司長・秋山徳蔵の采配により、夕食にそばが提供されました。その際、普段はされないお代わりを所望され、後に皇居に戻られてからも「あの越前そば…」と大層懐かしがられたそうです。このことを侍従の方々から本県関係者が伝え聞き、「越前おろしそば」の名の由来となったとされています。
 越前おそしそばは、1963年(昭和38年)東京日本橋三越の「全国そば展」への出店や、1968年(昭和43年)福井国体で郷土食として全国に発信されたことなどをきっかけに、福井の名物として定着して全国に広がっていきました。2007年(平成19年)には、農林水産省の「農山漁村の郷土料理百選」にも選定されました。
 また、越前おろしそばは多くの著名人からも愛される存在であり、このことも福井のそばの名を広げる原動力となりました。劇団民藝の創設者で戦後の日本演劇界を牽引した、俳優の故・宇野重吉氏もその一人です。「おろしそば、アリャうまいぞォ」と福井のそばを絶賛するほか、「信濃では…」の句を詠みかえた「福井では雪と仏とおらが蕎麦」という句を詠み、福井のそばの美味しさを全国に伝えました。また、俳優で勝山市の観光特使を務める中尾彬・池波志乃夫妻もメディア等でおろしそばを絶賛しています。さらに最近では、福井市食のPR大使であるEXILE/EXILE THE SECONDの橘ケンチ氏もふくい嶺北連携中枢都市圏事業『ふくいとそば。』において、そばの魅力発信を行なっている。

            


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